貴方にとってやさしい世界であるように

 

 

慧くん、27歳のお誕生日おめでとう*

 

 

すきになってからずっとずっとずうっと「すきになれてよかった」って思わせてくれてありがとう。最高でとっておきのわたしのすきなひと
お誕生日を迎えるにあたってなにをしようかなあ、なにを書けばいいのかなあと思いながらぴょんのことを考えている時間がとってもしあわせで大切で…そうか、それがすべてなのかもなあ、と思えたのでとりとめなく想いを綴ろうと思います。

 

ぴょんとは人生をずっと一緒に歩いているような気がしてる。

ぴょんの背中に憧れて追いかけていく…とか、ぴょんの歩く道を輝かしいものにするためにアドバイスを…とかではなく、隣を一緒に歩いて 分かれ道では一緒に悩んで 転んだらもう一度立ち上がって また一緒に歩く。そう、そんな感じかなあ。そうやって、ずうっとおなじ景色を見ててくれてありがとね。おなじことをしあわせだと感じたり、一緒のことを考えているなあと思えたり、頑張ろうねっていう時期が一緒だったり…そういうことってすごくしあわせだなあって思うの。

 

わたしはぴょんの優しいところがすき。

ぴょんの優しいところのひとつは、アイドルを全うしていることだと思う。わたしはアイドルっていうのは偶像だと考えているから、ファンの数だけアイドルとしての「ぴょん」がいると思っている。だから、こうしてほしい、こうされたら嫌だ…そういうのって全部ぜーんぶ受け手のわがままで、ただぴょんはぴょんのままに生きていればいいのに、でもぴょんはそういうのを全部引き受けてくれているもの。

ファンがファンの数だけ「ぴょん」に対する想いを持っているのを分かった上で、ファンの見たいように触れたいようにぴょんに関わらせていてくれていて、それでいて「俺は俺のすきなように生てるよ!」って言ってくれるの最高にかっこいいなあと思う。

そうやってとってもファンのことを考えてくれているのに、自分の意思であるってことをはっきり示してくれているから、ファンは自分の中の「ぴょん」と重なれば運命を感じることだってできるし、かけ離れてしまえば責めることだってできる。その自由をそのままにまるっと手渡してくれるひとなかなかいないよ。

だからぴょんはとても優しい。そしてすごく強いなあって思う。

 

あと、ぴょんが応援してくれるひとたち、すきでいてくれるひとたちのことをとても大切にしてくれるところがすき。ひとりひとりのことちゃんと大切に想ってくれてとっておきにしてくれるとことがすき。

ぴょんはたくさんのひとが自分を応援してくれている、すきでいてくれているのをちゃんと知っているから、理解しているからこそ、みーんなに「ありがとう」ってよく言うんだろうなあって思う。

ずうっとすきだったひとたちってほんとうにぴょんが世間に知られてない頃からぴょんがキラキラ輝いて見えていて、ずうっとだいすきでずうっと特別だったんだよね。世間から下積みって言われる時期でもずうっとぴょんが特別だったの。ずうっと楽しくてしあわせな想い出なの。人気が出てしまえばその頃のことを下積みとして扱うひともいるけど、違うんだよ!だって変わらずにずうっととっておきだったんだもの。

そういうのも全部理解して、下積みと言われる時期も楽しかったな〜!って言ってくれるところとか、自分で決めた道を歩いていたよって言ってくれるところとか、そういうひとたちのこととかを味方って言ってくれたりするところだいすき。

もちろん新しくすきになってくれたひとたちのことも軽んじることなく…というかもっともっと新しくたくさんのひとをすきにさせてやるっていう感じだからだいすき。ぴょんが髪型を変えたり、そうだねえ…発言とかももっとたくさんのひとに好かれたいんだろうなあ、でもそれって自分のためというよりはなんかいままで関わってきたひとたちに還元するためでもあるんだろうなあというのが見え隠れしたりもするから…ほんとうにだいすきだよ!!!(声を大きくして言いたい日本語)

 

ああ、すきなところ挙げてたらキリがなくなくなっちゃう。だから、ひとまず最後ね。 

最後に、ぴょんがぴょんの人生を楽しいうれしいしあわせ!って生きてくれるところがだいすき。スケジュールをみれば心配したくなるようなときだってあるけど、わたしは心配しません。だってぴょんならきっと最高の毎日を過ごせるんだろうなあと確信できるから。そういう信頼ってとっても大切。

頑張らなきゃいけないねっていう人生のターニングポイントがおんなじような時期だったりするのもわたしはほんとうに励みになっているよ。…あれ、最初の話に戻っちゃった。ぴょんに対しての「すき」ってきっと たっくさんあるように見えてたったひとつなのかもしれないね。ふふふ。

 

 

ぴょんの人生をたくさん魅せてくれてほんとうにありがとう。

アイドルでいてくれてありがとう。

だいすき*

 

ひどく甘ったるいばかり

ぱちんとはじけて消えてしまうような想いを掴まえて、言葉にして残しておくのも悪くない。

続くかなあ。続いているなんて思えないようなペースで続いていくのかなあ。

 

公開してない記事もたくさんある。

いまもそうだけど、昔の文章なんて見ていられない。

慧ぴょんなんて痛々しいけど、今更他の呼び名で呼ぶ方が恥ずかしい。

そんな感じ。

 

ポエマーごっこにお付き合いくださる方はごゆるりと。

いつだって確かな何かを望んでいた

わたしが慧ぴょんのことを信じたり安心できるひとだと思う理由の一つは、彼が言葉を正しく使うひとだからだなあと思う。

 

そう。わたしは言葉を正しく使えるひとがすき。

ここでいう「正しく」というのは「敬語が上手に使える」「上品な日本語を話す」という類のものではない。

 

そうだなあ、例えばカフェでドリンクを頼むときに「コーヒーでいい」と頼むか「コーヒーがいい」と頼むか、そういう些細なこと。だけど、わたしにはとても大切なこと。

きっと口にするときに、深い意図も悪気もないんだろうなあと思うんだけど、でもだからこそちゃんと「コーヒーがいい」って言えるひとがすき。「でいい」っていうならもっとよりよい、あなたが望む最善の選択を教えてくれればいいのにっていつも思う。その中にはあなたの望む最善がなかったのかなあごめんね、って思う。でも、だから選択肢の中から最善を選んで「これがいい」って言えるひと、もしくは「もっと行きたいお店見つけちゃったから、いまから行こうよ」って新しい道を開拓できるひとがすき。

って、例え話が長くなっちゃったね。

 

上に書いたのはあくまで例え話だから、実際にそういう状況があったわけじゃないよ。でも、想像したときに慧ぴょんなら「がいい」って言うんだろうなあって思うし、そう思わせてくれることがとてもしあわせでくすぐったいような気持ちになる。

慧ぴょんは自分の意思の有無をきちんと正しく言葉にできるひとだからすき。慧ぴょんがどう感じてどのように考えて言葉に、そして行動に表して世界に伝えようとしているのか、まっすぐに伝えてくれるからすき。他人任せにするときもそういう意図があってのことだし、自分の意思で動いた物事を他人に押し付けたり、他人事のように言葉にしないからすき。

ここ最近事務所に猛烈に推されて、でもそれに潰されることなくあっというまに売れて、いままでに比べればずいぶん遠くのひとになってしまったはずなのに、それでも慧ぴょんのこと同じようにずっと近くに感じることができる理由のひとつなのかなと思う。

慧ぴょんのくれる言葉は、すとんとココロに落ち着いてくれるからすき。どこかに引っかかったりちくっと刺したりざわざわとさざめきだたせることなんてないかもしれない。まあもっとも、昔から隠し事は下手だなあって思うことは多々あるけどね。

 

ああ、もっと的確な言葉で揺るがずにだいすきを表現できたらいいのに。

このすきって気持ちも遠回りの例え話ならいくらでもできるのに、どうしたらきちんと伝えられるのかずっと分からないでいる。

 

わたしは言葉に敏感でいたい。鈍感でいたくない。

その分、言葉を優しく正しく使えるひとといることを心地良いと感じるのだと思う。

元気がないとき落ち込んだとき、慧ぴょんの言葉ひとつでむくむくと前向きな気持ちがわいてくるから、慧ぴょんはすごいなあと思う。そして言葉そのものも。